このシリーズについて

低音域を「ある/ない」「出てる/出てない」で捉えること——実はそれ自体が、根本的なボタンの掛け違いです。中音域や高音域と同じように、低音域にもディテール・テクスチャ・表現の無限のグラデーションがあります。その認識のズレの出どころは、適切なモニター環境の欠落。このシリーズでは、低音を「どのように表現されているか」で捉える感覚を、一歩ずつ一緒に開いていきます。

(詳しくは 第1回:低音は「あるかないか」ではなぁ をどうぞ)


今回のテーマ ― 現実世界の低音に気づく

第1回では、多くの制作環境で低音が物理的に再生されていないこと、そしてそれが「低埳=あるかないか」という粗い認識を生んでいることをお話ししました。

今回は、視点をスタジオの外へ。

音楽制作の話はいったん忘れて、あなたが今いる場所の「音」に、意識を向けてみてください。


あなたの部屋を「測って」みる

まず、スマートフォンにスペクトラムアナライザー(スペアナ)アプリをインストールしてみてください。iPhoneなら「Spectrumview」、Androidなら「Spectroid」など、無料のもので大丈夫です。

アプリを起動したら、静かな部屋で、しばらくそのまま置いておきます。

さて…何が見えるでしょう。

一見「無音」のはずの部屋で、低域のラインが常に揺れているのが見えるはずです。建物全体の微振動、換気扇やエアコンの室外機の低周波振動、遠くの交通の地響き——私たちが「音」として意識していないエネルギーたちです。

(補足:スマートフォンのノイクは超低域の感度が限られていて、20Hz〜40Hz付近を正確に捉えることは困難です。数値としての精度は期待できません。ただ、「低域側にエネルギーが常にある」「何かが起きると低域が動く」という概要を掴むぶんには、十分に役立ってくれます。40Hz〜80Hz付近であれば、存在の確認はかなりはっきりできます。より正確な測定には専用の測定マイクとREWなどのソフトウェアが必要になりますが、入口としては、スマホのスペアナで十分です。)

あなたの部屋は、無音ではありません。超低域から溢れるエネルギーに、いつも包まれています。


ドアを閉めてみる

次に、スペアナを見ながら、部屋のドアを普通に閉めてみてください。

「バタン」という音の正体を、中高域の成分(ラッチの金属音、枠に当たる衝撃音)だけだと思っていた方、きっと多いと思います。

スペアナを閉め ;30Hz〜50Hzに巨大なエネルギーのピークが牾れます。あの「らボず」という遍みの�盯は、イァが空気を押し出して、部屋全体の空気が揺れる超低域の振動だったんですね。

高級車のドアが閉まる音が「重厚」に感じられるのは、この低域成分が豊かだから。軽自動車のドアが「軽い」のは、この帯域のエネルギーが小さいから。私たちは無意識のうちに、この低音のディテールで「質感」を判断しています。


車が通り過ぎる音

窓の外で車が通り過ぎるとき、何が聴こえているでしょう。

タイヤのロードノイズ、エンジン音。でも、スペアナで見ると、それだけではないことがわかります。大型車が通過するとき、10Hz〜30Hzあたりに持続的なエネルギーが現れます。スマホでは正確な数値までは捉えきれませんが、低域側がぐっと持ち上がっていく「概要」は十分に見て取れるはずです。地面を伝わる振動が、建物の構造体を通じて、あなたの部屋まで届いています。

そして、ここが大切なところ。車が近づいてくるとき、通り過ぎるとき、遠ざかっていくとき——低域のエネルギーは波のように押し寄せて、引いていきます。 一定ではなくて、時間軸の中で刻々と変化している。

これは、ハンス・ジマーが映画音楽で追求している「時間軸での低域コントロール」の、まさに自然界におけるモデルです。


ベッドに倒れ込む音

自分の体でも試せます。ベッドに、思い切り倒れ込んでみてください。

マットレスのスプリンジヌァヌ#��いう中高域成分だけでなく、体重が空気を押し出し、床が微振動し、部屋全体の空気が揺れる——その「ドスッ」という超低域成分を、あなたの体は確実に感じ取っています。

耳だけではなくて。胸が揺れる感覚、お腹の奥に響く感覚、足の裏に伝わる微振動。これらはすべて、低音のディテールを身体が受け取っている証拠です。


目を閉じれば、低音の世界が開く

ここでひとつ、小さな実験にお付き合いください。

目を閉じて、1分間じっとしてみる。スマホも置いて、何も見ない。

最初は「シーン」という静寂を感じるかもしれません。でも、30秒もすると、それまで意識していなかった音が、ふっと浮かび上がってきます。

エアコンの低い唸り。どこか遠くの工事現場のような重い振動。隣の部屋から伝わる足音の「ドスッ」という成分。窓の外の風が建物に当たるときの、低い圧力変動。

これらの音には、中音域や高音域と同じように、微妙な違いがあります。エアコンの唸りと冷蔵庫の唸りでは、テクスチャがまったく違う。遠くのトラックの地響きと電車の地響きでは、エンベロープ(音の立ち上がりと減衰の形)がまったく違う。

あなたはすでに、これらの微妙な違いを感じ取れています。

ただ、普段は意識していないだけ。意識を向けたその瞬間から、低音域にも中音域と同等のディテールが溢れていることが、少しずつ見えてきます。


「高域だけ聴こえる世界」に慣れてしまっている

ここで、第1回の話と繋がります。

現実世界では、20Hzからのとてつもない低音が常にそこにあります。ところが音楽制作では、多くの環境でそれが再生されていない。

つまり私たちは、「現実世界では低音のディテールを受け取っているのに、制作環境に入った途端にそれが消える」という、なんとも不自然な状態で音楽を作っていることになります。

日常では、ドアの音で「高級感」がわかり、車の音で「距離感」がわかり、足音で「体重」がわかる。それだけの精緻な低音認識能力を持っているのに、スタジオに入ると突然、低音が「ある/ない」でしか判断できなくなる。

これは能力の問題ではなくて、環境の問題です。


フィールドレコーディングで確認する

もう少し本格的に確かめたい方には、フィールドレコーディングの素材を聴いてみることをおすすめします。

都市環境のアンビエント音を、低域まできちんと収録した音源。それをスペアナで見ると、驚くことがわかります。

一見静かに聴こえる都市の環境音の中にも、30Hz〜60Hzに常に大きなエネルギーが流れている。遠くの交通量、建物の空調システム、電力系統の低周波振動——これらが重なり合って、街全体に「低域の絨毯」を敷いています。

そしてこの「絨毯」を取り除くと、空間の広がりや実在感が、即座に失われます。高域だけの世界は、まる��真空パックされたような、厚みのない空間に感じられてしまう。


低音は「空間のリアリティ」を支えている

ここまでの体験から見えてくるのは、低音が果たしている本質的な役割です。

低音は、単に「重さ」や「迫力」を加えるためのものではありません。

空間のリアリティそのものを支えています。

私たちが日常生活で「この部屋にいる」「外にいる」「地下鉄の中にいる」と感じるとき、その空間の「容積」を感じさせてくれているのは低音域です。高域だけでは、空間の広さや深さは伝わらない。

映画の音響エンジニアたちが低音のことを「重力」と呼ぶのは、このため。重力がなければ、どんなに精密に作られた映像世界も「浮いて」見えてしまう。低音は、音の世界における、まさに重力しす。


まとめ ― 今日、やってみてほしいこと

  1. スペアナアプリをインストールする ― 無料のもので十分す
  2. 静かな部屋で起動して、そのまま置いておく ― 「無音」のはずの空間に低域エネルギーがあることを確かめる
  3. ドアを閉めてみる、ベッドに倒れ込んでみる ― 日常の動作の中に超低域の振動があることを、目で確かめる
  4. 目を閉じて1分間じっとする ― 意識していなかった低音のディテールが浮かび上がってくるのを体験する
  5. 低音のテクスチャの「違い」に意識を向ける ― エアコンと冷蔵庫、遠くの車と近くの車。同じ「低音」でも、質感はまったく違うことに気づく

これは、あなたがもともと持っている低音の認識能力を「思い出す」作業です。能力は、最初からちゃんとあります。ただ、意識を向ける機会がなかっただけ。

次回(第3回)は、「正しいサイズで聴こえている?」という問いです。アコースティックベースは、あの背丈の大きさに。バスドラユは、バスドラユの大きさに。……そう聴こえているかどうか、一緒に確かめにいきましょう。


AtoZ Sound Journal は、音楽制作の現場に長年身を置いてきた私たちが、そこで出会った人間ドラマや、音楽の歴史が残してくれた物語を、生の言葉のままお届けする読み物サイトです。
AtoZ Studio / AtoZ DTM School(高田馬場・荻窪・芦花公園)